こんばんは、木村千恵子です。
そろそろ寝ようかなと、ある深夜にテレビチャンネルを無意識にNHKに合わせたら「東京ミラクル」という番組の再放送をやってました。
https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20190629
都心の地下鉄の様子を映していました。特にめずらしい映像ではない印象。「何がミラクルなんだろう?」としばらく観ていると、どうやら東京の鉄道ダイヤが分刻みでほぼ時刻表通りに毎日運行されていることを「ミラクル」と称しているらしい。。。
東京の常識、世界の非常識=ミラクル?
私は横浜在住ですが、ほぼ毎朝仕事で都心へ出掛けます。
毎朝当たり前に通勤時の電車が時刻表通りにホームに入ってくることを想定
最寄駅に向かいます。
今朝もいつもの電車に乗りました。電車がダイヤ通りにくることは日本人にとってはあたり前のことです。
でもこれって、よくよく考えてみればものすごいことですよね。
朝のラッシュ時に3、4分感覚で次々にホームに入って来ては大量の乗降客をさばいて次の駅へ向かう電車の様子を見ていて、
それを可能にするために、どれほどのいわゆる鉄道マン(ウーマンも最近はいるはず!)が日夜努力していることか。。。
そんなことを考えると「確かにこれはミラクルと呼べるかもしれない!」と思いました。
当たり前を見直すと見えてくるもの
そして、そのミラクルはすごいのですが、ふと立ち止まって考えてみてください。
その分刻み、いや、秒刻みに駅を猛スピードで通り過ぎていく電車にギュウギュウ詰めで運ばれていく私たち。
これは、本当に必要なことなのでしょうか?もっと快適に、働く時間を確保することはできないものでしょうか。。。
本当に必要なことは完璧を目指すことではない
そういえば、留学先のアメリカから帰国し、日本で再び通勤ラッシュを経験することになった時、とても違和感を覚えたことがありました。
それは、電車が定刻よりもほんの数分でも遅れたら、「電車が遅れまして申し訳ございません!」というアナウンスが流れることでした。
そもそも5分単位で正確に運行される確率が非常に高いことだけでもそれこそ「ミラクル」なのに、その上ほんの2,3分でも遅れたら謝罪のアナウンスが入る国なんて、他の公共機関では聞いたことがありません。恐らく日本だけではないでしょうか。
電車やバスの運行は、乗客の量や天候に左右されることが「常識」であり、そのために到着が遅れることは日常茶飯事であることが海外では当たり前に受け入れられているからだと思います。
でも、日本では、たとえ社交辞令の謝罪だったとしても、2,3分でも時刻表通りに運行できないことは「謝罪」に値する無駄な完璧主義が当たり前になっているのです。私には正直理解できません。もちろん、事故を回避する必要を考慮してダイヤ通りに運行する努力をすることは必要だとは思いますが、ほんの数分の遅れで乗客に対して謝罪が必要だとは、私には思えないのです。何か変な力がそこに働いていて、常識はずれな「無用な謝罪」を発生させているような気がしてしまうのです。
働き方改革は本来「働き方を快適にする改革」
働き方改革は、残業時間を短くすることと同義のように勘違いされる場合がありますが、根本的に違います。
「働き方」は、長年身体に染みついた「私のこのやり方」という「仕事」に対する感覚に大きく左右されます。人それぞれなのです。
働き方改革がうまく進まないのは、「私のこのやり方」を、無理やり「辛い働き方」に変えることを強いられる気がするからです。
もし、「私のこのやり方」を本当に必要なことに焦点を充てて「もっと快適に(楽に)仕事が進むやり方」に変えるのだと言われたら、「新しいやり方」でやってみようと思えるのではないでしょうか。
仕事に手を抜け、というつもりはありませんが、未来に明るい夢が見られない「改革」という名の「災難」には、だれも積極的には慣れません。
ですから、快適な働き方にするにはどうすれば良いか、そこにみんなの知恵を絞れば、「働き方改革」はもっとみんなの身近な取り組みになるはず、と私は思います。
そして、従業員おひとりお一人の「快適な働き方」についてキャリアコンサルタントの「聴く力」で引き出せば、組織の働き方改革は大きく進めることができる可能性があると思います。
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